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7月26日
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「子曰く、徳孤ならず、必ず隣あり」

 

徳のある人のまわりには、自然と

人が集まり、孤立無援となることは

ない、という孔子の教えですね。

 

私はこの言葉に少しでも希望を

抱いて、フラフラと歩んでいるので、

常に自らを律し、驕っていないか、

問い直す必要を感じているつもりです。

 

秋葉原の事件に続くように八王子で

無差別殺害の事件が起こってしまい

ましたが、この国の教育や、

国民生活がどのようであるべきか、

という政治的な課題について、明らかに

方向性を見失っているようです。

 

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大分の教育委員会の実態は、全国規模の氷山の一角のようですし、

(権限の大きさに対する)責任を負わない、自己保身の塊のような官僚や政治家たちが、私たちの大切な生活のあれこれを何でも決める、

というシステムはもはや機能していないだけでなく、悪弊をまき散らしているだけなのかもしれません。

 

といって「道徳に点数をつけろ」とかいう、国粋主義者の主張は、「自分の頭で考える国民」を喜ばないので、種類の違う弊害を増やすだけですし、

真に、動乱の時代を生き延びるための知恵としての「教育」が国民の側から求められ、その声を反映する形で「教育のかたち」が磨かれて

その結晶を望む人が誰でも受けられるようにならなければ、この国の未来はいよいよ暗いように思えてなりません。

 

〜「なんと自惚れた発言」、とお叱りを受ける前に、補足を〜

勿論この文は、私に徳がある、などと言っているのではありません。知識を詰め込むばかりなのが「教育」ではなく、この孔子の言葉は、自分だけでなく、

他者のことも考え、ひいては社会のことを考えて行動する人となれたならば、社会のほうがその人をほおっておかないだろう、という教えだろうと、

思うのです。秋葉原や八王子の犯人も、そういう心持をほんの少しでも習得していたら、きっと社会を逆恨みして無差別殺人などおかさずに

済んだのではないか、と。そう考えると、知識詰め込み型の教育でよしとしている今の教育の内容ではいけないのではないか、と考えているのです。